「だれですかあの人」
今しも帰っていくところの 藍絣のせなを見やって 鯉七は首をかしげました
鯉七の住まう大池のあるお山では 見かけたことのない顔だったのです
「むこうの山の狐長者よ 雨を頼みにきたのだわ」
ひい様はそうおっしゃいますと 丈に余る黒髪をおん自らの指でとかれました
「一匹娘のおコンさんの 明日がお嫁入りなのですって お天気雨にしてほしいと言うのよ」
狐が嫁入りをするときは どうでもお天気雨でなければなりません
それですから狐長者は 七重のひざを八重にも折って ひい様にお頼み申し上げにきたのでした
「嫁入りは ねたましいけれどおめでたい 今葛の葉とよばれるおコンさんにふさわしい お天気雨をふらせてみせるわ」
人間たちがうつくしい少女を「今小町」とか申しますように 狐たちはうつくしい雌狐を「今葛の葉」と申すのです
おコンさんという 狐長者の一匹娘は そのうつくしい狐顔で名高い葛の葉娘なのでした
「本当におめでたいですね 婿になるしあわせものは 一体 ポンポ小次郎ですか それともオロ千代丸ですか」
風流狸のポンポ小次郎と 色男蛇のオロ千代丸が そろっておコンさんに懸想していたことを 鯉七はようく知っています
鯉七の問いかけに ひい様はあきれたようなお顔つきをなさいました
「ばかね 狐長者の一匹娘の婿がねに むこうのむこうのむこうの山のコン衛門さんをおいて 他のだれがいるというの」
コン衛門さんと申しますのは むこうのむこうのむこうの山の 分限者狐の跡取り息子です
ぼんやりとした好狐物ですが おコンさんに懸想していたという話は ついぞ聞いたことがありません
「コン衛門さんですか」
鯉七はおどろいて お麩をいただくときのように 口をぱかんとあけました
ポンポ小次郎とオロ千代丸の二匹については おコンさんもまんざらではなかったはずで お嫁に行くなら二匹のうちのどちらか と つねづね申していたのでした
それがどうしてまた コン衛門さんのところに嫁入りすることになったのでしょう
おどろいた顔のままの鯉七に あきれたお顔のままのひい様がおっしゃいました
「あたりまえよ 馬は馬づれ 牛は牛づれ 狐は狐づれが いちばんしあわせ」
そうしてから ひい様は もすそを翻然とひるがえして
「いそがしい いそがしい」
とおっしゃいながら むこうへ行ってしまわれました

馬は馬ずれ 牛は牛づれ 狐は狐づれ
それでは竜神は竜神づれなのでしょうか
鯉七はたまらずに泣きました
なみだはぽたぽたこぼれおちて さながらお天気雨でした